2007年10月06日
因達の神山(八丈岩山)山歩き。。。
祭囃子の聞こえる中。。。一人静かに山歩き・・・
登山口からてくてくと登っていきます・・・ほとんど獣道状態。。。

しばらく登ると・・・
足がくがく、息切れゼーゼー、完全に体力不足

後から登ってきたおじいちゃんに追い抜かれ・・・

休憩しながら写真を

栗の木を見つけたので撮ってみたら・・・
遠くに姫路城

四苦八苦しながら・・・
やっとの思いで山頂まできた。。。
山頂には碑が建っていた。。。
『なになに?』
『高岳神社舊蹟 天長三丙午九月影向』
→関連記事姫路城~八丈岩山より:徒然~姫路城がある風景。。。
『高岳神社?』なんで?・・・
ググッてみたら、
射楯兵主神社(姫路総社)の暦伝には、
大和時代に射楯大神、飾磨郡因達里に御鎮座と記され・・・
播磨国総社は「射楯兵主(いたてひょうず)神社」であり、「射楯大神と兵主大神を祀る」とあり、
『射楯大神は素盞嗚尊(須佐之男命:スサノオ)の御子で、
植林の神として知られる五十猛命(いそたけるのみこと)であり
風土記には因達里にいます伊太代神と記載されている』
『兵主大神は大己貴命・大汝命(おおなむちのみこと)大国主命とも呼ばれる』と記される
伊和神社(宍粟市一ノ宮町)の暦伝には、
伊和大神(大己貴神・大国主神・大汝命)は伊和の地から因達神山に祀られ
のちに射楯兵主神社の祭神となると記されてある
高岳神社の暦伝は・・・
因達神山より、天長三年(826年)に蛤山に遷し祀したと記される(八丈岩山の碑に記してある)
『播磨風土記』によると、
現在の八丈岩山南麓を因達の里とし、飾磨の郡因達の里と呼ぶ
因達の里と呼ぶようになった所以は、
息長帯比売命(神功皇后:じんぐうこうごう)が住吉大神の神託により、
朝鮮半島に出兵して新羅の国(現在の朝鮮半島東部)を平定するために
御渡海なされた時、御船前(先導神)の伊太の神(五十猛神:いたけるのかみ)が、
この地(現在の姫路市西新在家付近)を訪れた事から伊太の里(因達の里)と呼ぶようになった
・・・で何が言いたいかというと
ここで云う『伊太の神(五十猛神:いたけるのかみ)』とは、
別名:伊太代神(五十猛命)である
さらに、射楯兵主神社(姫路総社)の暦伝の飾磨郡因達里に御鎮座と
伊和神社の暦伝の伊和の地から因達神山に祀られたという事は、
当初、射楯大神が播磨地方を治めていたが、
後に伊和大神(大己貴神・大国主神・大汝命)が治めたということになる
飾磨郡伊和里(姫路市街地周辺)という風土記での呼称は、
伊和族(播磨国一宮伊和神社の伊和大神を祀る氏族)の統治下であったことの表れだという事と思われる
その後、高岳神社の暦伝の因達神山に鎮座した射楯大神を因達神山より、
天長三年(826年)に蛤山に遷し祀したとすると
『播磨風土記』+射楯兵主神社(姫路総社)の暦伝+
伊和神社(宍粟市一ノ宮町)の暦伝+高岳神社の暦伝から
大和時代に射楯大神(五十猛神)が飾磨郡因達里に鎮座した
その後さらに、伊和大神(大己貴神・大国主神・大汝命)は伊和の地から因達神山に祀られたため、
平安時代に入って因達神山に鎮座した射楯大神を高岳神社へ蛤山に遷し祀した、
その後、後から鎮座した伊和大神(大己貴神・大国主神・大汝命)を
射楯兵主神社(姫路総社)に祀ったとした解釈をすると、
播磨の国の統治が出雲の国配下になったということの説明がつく。。。
ちなみに、『伊太の神:射達大神(五十猛神:いたけるのかみ)』を祀る播磨地方の神社は
高御位神宮(加古川)、一之宮神社(加東市東条)、広峯神社(姫路市)、
射楯兵主神社(総社)(姫路市本町)、行矢射楯兵主神社(姫路市辻井)、
高岳神社(姫路市今宿)、高岡神社(姫路市田寺)、八幡神社(姫路市林田町)、
若宮神社(姫路市夢前町)、白髭神社(姫路市別所町)、小宅神社(たつの市)、
中臣印達神社(たつの市揖保町)、高嶺神社(赤穂郡上郡)などです。。。
・・・ちょっとすっきりした~

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この記事へのコメント
Posted by 水鏡サ
at 2007年10月06日 22:27

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じぇんじぇん余裕ありましぇ~んでした・・・><; 肺が飛び出そうなくらい。。。やっぱりタバコすいすぎかも~ >エッ、もうやっていた?! ・・・まだやってませんよ~♪試してみます~ ほなぁ~ |
Posted by 『わっち』
at 2007年10月07日 02:10

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